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              EDITION PATRICK FREY

 

1986年にパトリック・フレイによって始められた出版社 Edition Patrick Frey は主にスイスのアーティストを中心に、海外のアーティストたちともコラボレーションをしながら、これまでに160以上のタイトルを出版してきている。

 

特に若手のアーティストたちに初めての作品集出版の機会を与えることを目的にしつつ、同時にWalter Pfeiffer(ウォルター・ファイファー)や Peter Fischli & David Weiss(ペーター・フィッシュリ & ダヴィッド・ヴァイス)、Andreas Züst(アンドレアス・ツュースト)らといった名だたるアーティストたちとも長年に渡りコラボレーションをしてきている。

写真、アート、日常や大衆文化をテーマとしたプロジェクトを主題に年間10冊以上のタイトルを出版している。

各タイトルの出版部数は少なく、また他に類を見ないプロジェクトを扱っており、美しいデザインと高いクオリティから、今ではレアなコレクターズアイテムとなっているタイトルも少なくない。

 

https://www.editionpatrickfrey.com/en

☟NEW TITLES FROM EDITION PATRICK FREY  

N° 203

BILLY SULLIVAN / STILL, LOOKING. WORKS 1969-2016

Billy Sullivan(ビリー・サリヴァン)は、70年代初期よりニューヨークのアンダーグラウンドシーンやアート、ファッションのシーンをカメラと共に渡り歩き、そこで撮った写真素材を元に油絵やパステル・ドローイング、そしてスライドショーのインスタレーション作品などを発表してきました。彼は友人や家族、恋人たちやミューズから高級売春婦まで、撮影場所もナイトクラブやアトリエ、散らかったホテルの部屋から優雅なビーチハウスまでを捉えてきました。時間軸に全く沿わずに並べられた彼のイメージの中では、アンダーグラウンドシーンと上流社会は常に近しいものであり、それはまるで人生の浮き沈み、生への欲望と儚い若さが表裏一体となっていることと同じようです。サリヴァンの写真やペインティング、ドローイングは、彼の作品を特徴づけているカメラと絵筆の間で続く対話なのです。

サリヴァンの写真は親密で官能的であり、そして細部までよく観察されています。後期のペインティング作品では、40年前にカメラに収められた瞬間が時間の経過を拒み、あたかも昨日起きたばかりの出来事のように描かれています。彼の細部に至る観察の中には、家族や恋人たち、夜遊び仲間やアート業界の人たちの全ての様相に日常の美や欲望、愛が常に存在しています。

サリヴァンは衝撃効果や覗き見行為、皮肉や感傷的なメランコリーといった要素を用いらずに全体を完成させています。被写体と接する時の誠実な姿勢が彼の作品にとっての鍵となっているのです。本書において彼はそれぞれの作品にコメントや価値判断をつけずに並べ、視覚的な自伝をまとめあげました。そしてこれは同時に自由奔放なニューヨークの年代記でもあるのです。

23.5 × 30 cm / 296ページ / ハードカバー / 2016年

 

定価 ¥7,200(税抜)

N° 211

GINA BUCHER / Female Chic. Thema Selection – Story of a Fashion Label

スイスのファッションレーベル Thema Selection(テーマ・セレクション)、そしてチューリッヒから程近い所に位置するリマト川沿いの穏やかな街オーバードルフに構えたその直営店は、1970年代に大きな注目を浴びました。ユニークなスタイルと風変わりなファッションショーでレーベルは注目され、その店舗はチューリッヒのアート関係者たちの溜まり場となりました。店舗/レーベルの創始者のKatharina Bebié(カタリナ・ベビエ)とUrsula Rodel(ウルスラ・ローデル)、Sissi Zoebel(シッシ・ゾーベル)に、Elisabeth Bossard(エリザベス・ボッサード)が参加。その後Christa Derungs(クリスタ・デアウングス)、そしてSonnhild Kestler(ソニルド・ケスラー)が加わりました。

メンズ用の生地を用いた、ざっくりとカットされたレディスの仕事着がワイテ・ガッテ通りの直営店で発表された頃、その中性的な装いは時代の先を行くものでした。当時の女性のほとんどはヒッピースタイルか味気ない婦人服を着ているかのどちらかでした。最初の二年間は店が繁盛することはなかったのですが、1974年にVOGUE誌がオーバードルフのアヴァンギャルドなファッションについて取り上げたことを機に世に知られるようになりました。その後開催した3つのファッションショーは街一番の話題となり、ウルスラ・ローデルとシッシ・ゾーベリによってスタイリングされた国際的な映画スター達や、残念ながらこの本には収まりきれないほど数多くの都市伝説が見出しを飾りました。Thema Selectionに関わった女性達は、何年も同じ体制が続いた後、顔ぶれが次から次へと変わっていきました。このクリエイティブ事業の正式メンバーは決定的なものではなく、意欲的なビジネスの信条を分かち合うことが一番重要なことでした。

本書の中で、生活に対する特別な趣に溢れる店の発起人やその仲間達が、このアヴァンギャルドな事業の歴史の背景について詳しく述べています。

 

22.8 × 30 cm / 624ページ / ソフトカバー / テキスト:英語 / 2016年

 

定価 ¥7,000(税抜)

本書に掲載されているの小さなカフェや宿屋、ブラントウェイナー(早朝から営業している小さな酒場)、客が「隠れ家」と呼ぶ時間が止まったかのようなバーは未だに存在しています。前を通りかかると半開きのドアの隙間から大きな笑い声が聞こえるが、店に入っていく人の数は少ない。これらの場所は、友人同士で酒を飲んでいる最中にいざこざが起こり殴り合いや刺傷に発展し、事件現場としてメディアに報道される事が多い。

Klaus Pichler(クラウス・ピヒラー)とClemens Marschall(クレメンス・マーシャル)はこれらの店の前を通り過ぎるだけではなく、中に入ってその別世界を記録しました。ピヒラーは客や日々の出来事、狂気、緊張の高まった状況を撮影し、マーシャルはオーナー達に彼らについて話を聞くためにインタビューを敢行しました。これらの場所は多くの客にとっては話し相手を見つける唯一の場所なのです。通常はバーにいる皆が一つの会話に参加して話を繰り広げます。彼らにとってそこは、まるで家族代わりのような存在なのです。

物々交換が繁盛し、人々がお互いに支え合う。ある程度の試用期間を経た者のみが参加できる小さなサークル。だが一度そこに入れば、家族のように朝から晩まで、毎日つるむ呑み仲間となるのです。ブラントウェイナーは朝の5時、カフェは午前9時、そしてその他は午後あるいは晩頃から開店し、酒飲みの年配世代に24時間のサービスを提供しています。店内に備えられた家具は60年代のものが多く、それと同じ時代から通い続ける客も中にはいます。時の経過による荒廃を唯一表すのが、亡くなっていく人々です。そして彼らと共に、これらの隠れ家も消え去っていくのです。

二人は消えつつある酒飲み世代にとって残り最後となる避難所を探しだし、記録、そして調査するという任務に取り掛かりました。ウィーンの街を幾度も歩き回った彼らは、こういった場の一部は困難な状況の真っ只中にいることを知ります。何十年もの間顧客たちを形成してきた、間もなく消滅するであろう飲み屋にとって、この本は最後の作品となるでしょう。

22 × 28 cm / 250ページ / ハードカバー / テキスト:英語 / 2016年

 

定価 ¥5,800(税抜)

N° 206

Clemens Marschall, Klaus Pichler / Golden days before they end

N° 209

Nik Emch, Laurent Goei / MINIMETAL 11 MANTRAS

今から22年前、Nik Emch(ニック・エミヒ)とLaurent Goei(ローレン・ゴーイ)により、チューリッヒを拠点とするアーティスト・デュオMinimetal(ミニメタル)が結成されました。Minimetalは音楽とヴィジュアル・アートを織り交ぜたプロジェクトを手がけ、アンダーグラウンド・シーンだけでなくアート・ギャラリーでも演奏してきました。まさに「音の彫刻」と呼べる彼らの作品は、ギターやドラム、ボーカル、そしてイメージ画像が激しく衝突し、これまで22年間に渡り観客たちを高度なレベルの催眠状態へと導いてきました。Minimetalとはパンク、ロック、アートであり、そして彼らの一生涯のプロジェクトなのです。

90年代前半、メンバーは二人のみだがパワーとメタル音に溢れたミニ・バンドMinimetalをコンセプトに11曲を作曲。ポップやパンクからノイズ、テクノに至るその11曲に彼らは固執し続け、今では彼らにとってマントラのようなものとなり、長年かけて完成度の高いものやラフで未完成な演奏へと再解釈してきました。それがどのように、また、どうしてなのか、という疑問はとても重要であり、二人がスタジオ内で繰り広げてきた議論はパフォーマンスの一部となっています。

Minimetalは、最初の頃から通常ロックのライブが行われる場所、すなわちアリーナステージでの演奏をなるべく避けてきました。大きな会場を避けてきたことで、演奏やレコーディングの新しい道を模索する自由を得た彼らはアート・シーンと繋がり、そしてアーティスト本を作るまでに至りました。

本書『MINIMETAL 11 MANTRAS』は、単にMinimetalの過去22年間に制作されたマルチメディア作品群を振り返るだけではなく、彼らの音のクオリティの歴史を巡るものとなっています。そして同時に、本書の中に掲載されているQRコードをスマートフォンで読み取ることにより、計13時間もの音と映像を体験できるようになっています。

 

21.5 × 27.5 cm / 260ページ / ソフトカバー / テキスト:英語 / 2016年

 

定価 ¥6,000(税抜)

本書のタイトルに使われた「peripher(ドイツ語で「周辺」という意味)」は、14年間ベルリンを拠点としてきたスイス人アーティストのAndreas Tschersich(アンドレアス・チャーシィ)の作品の中において、構造物や美学、そして精神状態として機能しています。それは、明確な分類や標準化されることのない「通過」や「移行」の場を表しています。彼は街の景観を撮影するも、そこには人々も利用されている様子も映っていません。それはその撮影場所がシャルルロワやリバプール、ニューヨーク、東京であれ同様です。彼の写真は世界共通であり、その日常的で平凡な様子は、その場所を訪れたことのない人にとっても馴染みのあるものに映ります。

作品のモチーフを常に注意深く探している彼ですが、「それ」が彼の元に偶然訪れることもあります。彼は道に迷った時、その状態をクリエイティブな機会として利用することに長けています。街を歩き回る彼の前に「それ」が突然現れる、といった感覚を彼は写真を通して伝えようとしているのです。全てがどう転ぶか分からない不安定な状況の中で、放棄か開発か、危険か安全か、といった運命の選択が下される直前の感覚。彼の捉える場所では、どれも起こりうる可能性があります。彼は自身の写真を建築写真と呼ぶことを嫌い、ベッヒャー夫妻の作品と直接関連付けようともしません。しかし、彼の作品は20世紀後半から写真史上で続く、人工的に作られた環境と人間との関係性を記録しようとする様式の流れに沿っていることは明らかです。

瞬間的な体験である「人の視線」に限りなく近づけるため、彼はデジタルモンタージュ技法の使用跡を見えないようにしています。大判カメラを使って撮影すると必ず起こる遠近感の歪みを避けるため、中型のネガを数枚重ね合わせて1枚の大きな絵を作り上げます。つまり、彼は現実を偽るのではなく、可能な限り現実に近づけるためにテクノロジーを利用しているのです。

25 × 32 cm / 164ページ / ハードカバー / 2016年

 

定価 ¥5,800(税抜)

N° 207

Andreas Tschersich / peripher

N° 199

FABIAN MARTI / Bilder 2005 – 2016

本書は、アーティストのFabian Marti(ファビアン・マルティ)による心像世界を巡る旅についての本です。そこに映っている支配的で神秘的な黒は、水晶の乳白色、岩窪の灰褐色、ざらざらした質感のギリシャ遺跡のベージュといった色によって微かに強調されています。フォトグラムの錬金術的なプロセスの副産物として生まれた色。オリジナルで馴染みのある形。マルティはシンボルを再解釈して近代の文化史、そしてその遥か彼方を振り返ります。過去と現在が同時に混じり合う、時間を巡る旅。デジタルとアナログの結合。スキャンされた物体はキノコ、石、トースト、両手など。

本書は物質や形によって引き起こされる意識変容状態に関するものです。スピリチュアルな考えや超自然的な体験、そしてそれらの否定。憂鬱でもなく、悲しくもない、重くもないが、瞑想的で、覚醒なのです。イエスとノーの間を行き来する心の揺らぎ。写真で構成された部分はErik Davis(エリック・デイビス)とアイルランド人の哲学者Paul J. Ennis(ポール・J・エニス)のエッセイによってまとめられています。

 

ファビアン・マルティは1979年スイスのフリブール生まれ、現在はチューリッヒとロサンゼルスに在住。

 

21 × 31.5 cm / 224ページ / ハードカバー / テキスト:英語 / 2016年

 

定価 ¥6,000(税抜)

N° 201

ELODIE PONG / PARADICE PARADOXE

目は閉じることが出来るますが、鼻は閉じることが出来ません。鼻で呼吸をするということは匂いを嗅ぐこと。視覚的な刺激はニューロン伝達の複雑なプロセスによってのみ脳に伝わりますが、嗅覚の刺激は最もダイレクトに伝わります。そして嗅覚というのは私たちにとってまだ未知なるものなのです。

アーティストのElodie Pong(エロディ・ポン)のプロジェクトのスタート地点は私たちを取り囲む目に見えない建築物でした。彼女はフィクションと現実の橋渡しとなっている数多くの様相について探求しています。

香りは液体の典型的な記号表現でありメタファーとなっているのは周知の事です。私たちの文化のさまざまな側面に関わりながら香りは人と物、場所の暗黙の関係性として実際につかむことの出来ない役割を演じています。それはある種の目に見えないコミュニケーションツールの役割を果たしているのです。

芳香と匂いは マーケティングや政治アイデンティティー、歴史、哲学、科学的な倫理、神経学、遺伝子組み換え、グローバリゼーション、セクシュアリティ、ジェンダー(性差)の問題など、全く異なる分野の境界の間を漂っています。

「強盗」という名のかつてエロディー・ポンが気に入っていた香水には「あなたを悪者にして良い香りを放ちます」と書かれていたそうです。

果たして私たちは鼻によって誘導されているのでしょうか?それとも嗅覚はよりポジティブな変化に対して可能性を提示しているのでしょうか?

 

19.2 × 26 cm / 296ページ / ソフトカバー / 2016年

 

定価 ¥5,500(税抜)

N° 202

Maximilian Stejskal – Folklig idrott

ヘルシンキの民族学者で体育の教師だったMaximilian Stejskal(マクシミリオン・ステイスカル、1906-1991年)は、博士号の研究テーマとして20世紀初頭にフィンランドの中でもスウェーデン語を話す田舎に住む男性たちの間で開催されていた「フォーク・アスレティック」と呼ぶ民間起源の身体能力を競う競技の研究を始めました。

彼は研究のため1929年から1937年の間、毎年1~2ヶ月かけて二つのベローズカメラ(蛇腹式カメラ)と写真ガラスの入った箱を持ってフィンランドの南と東の広大な地域とエストニアをバイクで回りました。そして第二次世界大戦後に再び1948年にも調査を行いました。これらの研究旅行の間に彼は当時既に消えつつあった伝統的な競技「フォーク・アスレティック」の情報を体系的に集めました。

ほとんどの場合、当時を知る年老いた農夫や職人たちがエクササイズや、強さや度胸を測るテストといったことの詳細について、彼らが若い頃にいかに力持ちだったかを証明しようとしながら語ってくれました。ステイスカルはその話を聞いていた彼らの息子や親戚、農場で働いていた労働者たちにカメラの前で実際にエクササイズをやってみるように頼みました。そのことによってステイスカルは彼らのエクササイズの様を写真に収めることが出来たのでした。

この20年間に及ぶ実地調査の間、ステイスカルは11種類に分類出来る膨大な量の資料を集めました。それらは2000ページ以上に渡る手書きの旅行記と、エクササイズの詳細、表やスケッチ、音楽や会話の録音と433枚の写真から成ります。本書はそれらの写真群の中からセレクトした写真で作られた一冊です。

 

25.5 × 35 cm / 120ページ / ハードカバー / 2016年

 

定価 ¥5,400(税抜)

N° 198

BAD BONN SONG BOOK

スイスのフリブール州のデューディンゲンという、かつてはスパとヘルスリゾートの地として栄えた小さな田舎町にCafe Bad Bonnという小さなライブハウスがあります。この、湖畔近くにある小さなライブハウスは25年近くに渡り世界中の音楽好きの人たちを惹き付けてきました。Bonnstrasse(ボン通り)の行き止まりの辺ぴな場所に建つその控えめで、ほとんど地味な外観のライブハウスは、通常はロンドンやパリ、ベルリンなどで見られるような驚く程に幅広いラインナップのアーティストたちのライブ会場となってきました。メタルだろうがアンチ・フォークだろうが、カントリーだろうがエレクトロだろうが、はたまたヒップホップだろうがインディーだろうが、ここは常にポップ・ミュージックシーンの周辺やニッチなアーティストたちのための場所となってきました。

1991年のオープン以来、この小さなステージに立ったアーティストは My Bloody ValentineやBonnie Prince Billy、The ProdigyやQueens of the Stone Age、Ministry、Cat Power、The Young Godsといったインターナショナルなビッグネームから地元のバンドたちまで、その数はおよそ2500組にも及びます。また年に一度このBad Bonnで開催される音楽フェス「Kilbi Festival」は多くの著名な音楽評論家やカルチャージャーナリストたちから「スイスで最高の音楽フェス」と賞賛され、今ではスイスのアートプログラムの定例イベントにもなっています。

本書はBad Bonnの25周年を記念して作られた本です。ここ2年半の間にBad Bonnで演奏をしたアーティストたちに彼らの曲を紙に残して行って欲しいと頼みました。そしてその結果はアーティストたちの音楽スタイルや個性に見合った、バラエティに富んだ面白いものになりました。楽譜や歌詞を書いていく人、ギターのコード表を書いていく人、写真やドローイングで表す人…さまざまな自由な形で彼らの曲が紙の上に残されました。ここに残されたノートの数々はアーティストたちがステージやレコーディングで見せることの無いクリエイティビティを提示しています。本書は熱狂的な音楽ファンや楽器を演奏する人たちのみならず音楽好きなら誰でも楽しめるとても珍しい形のソングブックとなっています。

 

本書参加アーティストたちが演奏の仕方をアドバイスしてくれる映像が見れる特設サイトはこちら:http://www.bbsongbook.ch/videos

 

21 × 29.7 cm / 528ページ / ソフトカバー / 2016年

 

定価 ¥7,000(税抜)

N° 197

MICHELE SIBILONI / FUCK IT

売春婦に乞食、ポン引き、酔っぱらった駐在員や地元民、1日1ドルの低賃金で働き詰めの警備員、老人、孤児、わんぱく小僧、チンピラ、バッタ売り、警察、NGOの労働者、いかがわしい祈祷師。

「まるでメキシコのティファナのようだ」ー ある平和部隊のブロガーがウガンダの首都カンパラにある安いバーのあるエリア、カバラガラのことをかつてこう言いました。

ウガンダは国際社会に対して援助・開発に対して責任感のある、革新的な場所としてその場を提供し続けておよそ30年程になります。

ウガンダは70年間の植民地統治の後に7年間の独裁国家が続き、その後8年間の内戦の後に1986年に世界でその名が浮上してきました。それはエイズ感染拡大の発生地としてでした。まさかそれが都市生活者たちの常軌を逸した乱交が原因だったことは普通は想像出来ないでしょう。

この写真集に収められている辛辣なバラエティに富んだ写真の数々は見る人に、このような美しい恐怖に対しての自然な反応として同情や憐れみ、嫌悪感、疑問といった様々な感情を呼び起こすことでしょう。

 

17.7 × 25 cm / 128ページ / ソフトカバー / 2016年

 

定価 ¥4,600(税抜)

N° 179

BARBARA DAVATZ / As Time Goes By 1982 1988 1997 2014

1999年にリリースされた名作『As Time Goes By. Portraits 1982, 1988, 1997』で知られるスイスのフォトグラファー Barbara Davatz(バーバラ・ダヴァッツ)の続編にあたる最新作品集です。1982年に12組の恋人や友人、もしくは親類関係にある若者カップルのポートレイトを撮り始めたダヴァッツは、その後1988年、1997年と時の経過を経たカップルたちの姿を撮り続けてきました。そして最初のポートレイト撮影から32年経った2014年にその長期に渡るコンセプチャルなプロジェクトを再開させ、再び彼らに声をかけてスタジオに呼びポートレイトを撮影しました。グレーの背景の前に立ち、カメラをまっすぐに見据え、正面から撮影するという必ずいつも決まった形式です。

そして32年という時の経過の中でダヴァッツは連続性と非連続性、カップルたちの関係性の変化、彼らの世の中へのアピールの仕方の変化などを写真に収めることができました。

最初は12組のカップルでスタートしたこのプロジェクトは回を重ねるごとに被写体のカップルに子供やさらには孫ができ、人数はどんどん増えていき、結果として三世代のポートレイトになりました。

このプロジェクトは自己表現という当初からあったひとつのテーマに加え、次第に様々なテーマが加えられていきました。被写体の個人的な情報(職業や年齢、2人の関係性まで)はあえて何も記載せずに、このシリーズでは時を経た彼らの身体的な変化、経歴的な変化、そして服装の変化を物語っています。言葉での説明無しでもポートレイトからは別離や加齢や損失、そして家族が増えること、また家族の特徴が次の世代に引き継がれること、などが見受けられるでしょう。

ダヴァッツの作品は、時の経過を私たちの目に見えるものにさせてくれます。本書は非常に率直な、長期に渡る変わりゆく都市環境の観察記録でもあるのです。

 

27 × 33 cm / 168ページ / ハードカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-79-9

 

定価 7,500円(税抜)

N° 191

PRILL VIECELI CREMERS / Money

『Money』はその名の通り紙幣に印刷されている絵柄の本です。絵柄は政治的なメッセージだったり、歴史的重要な出来事だったり、優れた人物であったり、ステータスシンボルや風景であったり、紙幣は理想的な世界を賛美する小さなポスターなのです。例えばユーロ紙幣では、橋の絵柄によって団結したヨーロッパ諸国のイメージを伝えようとしています。2002年に初めてユーロが通貨として誕生した際、およそ127億枚のユーロ紙幣が流通しました。それはつまり127億の橋が理想の世界を作るために作られたのです。

紙幣の絵柄は物語を語り、権力を賛美します。絵柄の中の強くて、肉体労働に従事する幸せそうな労働者の人たちは、教育を受けることが出来、そして豊富な動物たちと共に空想上の風景の中で暮らしています。様々な国の紙幣の絵柄にはしばしば同じようなモチーフが繰り返し使われることがあります。人間の姿は哀愁に満ちた方法で描かれ、彼らの身振りと表情は世界中のどこでも解釈しやすいように表現されます。

本書では、ヴァルター・ベンヤミンの言うところの「紙幣の装飾から語られるスピリット」を喚起させ、どういった絵柄が紙切れの上に印刷され、無価値なものを価値のあるものへと変化させてきたのかを紹介します。

 

24 × 33 cm / 256ページ / ハードカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-91-1

 

定価 6,200円(税抜)

N° 192

Fabienne Eggelhöfer, Monica Lutz / Salon Moderne

「ヘア・アフェアー」「ヘアコア」「ジェニ"ヘアー”」…こういった注目を集めるために付けられたおかしな名前、独特の美的センスを自慢するためのウィンドウディスプレイ…。ヘアサロン(美容院)というのは奇妙な小宇宙です。本書『Salon Moderne』にて紹介されているスイスのヘアサロンの名前とウィンドウディスプレイの数々はまさに宝石と呼んでも良いでしょう。例えば、ギリシャの神殿のような装飾柱に漁網と貝殻でデコレーションしたサロン、また別のサロンでは自動車模型とサイン入りサッカーボールのディスプレイ、さらに別のサロンでは夏にはカーニバルのマスクとカラフルな救命用具、もしくはミス・スイスの過去と現在の写真…etc。

しかし一体何がスイスの美容師たちに発泡スチロールの台の上にかじられた松ぼっくりと背中の針の半分が壊れた木製のハリネズミの置物を並べるウィンドウディスプレイを思いつかせるのでしょうか?それはおそらく、ヘアサロンのウィンドウディスプレイはそれ自体が自己完結のアートであるが故、魅力的で難解、そしてコミカルなものになるのでしょう。中にはヘアサロンという仕事内容とはかなりかけ離れたテーマのディスプレイも少なくありません。こういったそれぞれの店が唯一の独自性を持ち真に多様化された業界というのは、他の小売り業界にはありません。こういった奇妙な現象とも言える独特のデコレーション文化はプロフェッショナル・ブランディングの時代に生き残っていくべきでしょう。

 

17.8 × 12.6 cm / 288ページ / ハードカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-92-8

 

定価 3,600円(税抜)

N° 190

Thomas Müllenbach / ORIGINALE

『ORIGINALE』は、Thomas Müllenbach(トーマス・ミュレンバッハ)の2005年から2013年にかけて制作された「Halboriginale(英:Semi-originals)」という作品シリーズをまとめた作品集です。この作品シリーズが始まったきっかけは、ミュレンバッハの家のポストに毎日届く大量の展覧会やイベントのインビテーションでした。それらはアートシーンにおいて毎日どこかで必ず何かが起きているという証拠文書でした。ミュレンバッハはこれら彼の作品に多大な影響を与えている物的証拠を正確に描いた水彩画へと置き換えました。

作品はデューラーからゴッホまで、スイスのアーティストからインターナショナルなアーティストまで、具象から抽象まで、それぞれ元となっている作品の知名度で遊んでいるようです。彼の “半オリジナル” 作品は贋作でもコピーでもなく、“独特な解釈” もしくは作家曰く “ハンドメイドのアプロプリエーション”と呼んでもいいでしょう。このアプロプリエーション・アート(盗用美術)への言及はとても重要な意味を持ちます。

 

※本書の表紙は一冊一冊がトマス・ミュレンバッハによって個別にデザインされたもので、全て異なります。

 

16.5 × 23 cm / 368ページ / ソフトカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-90-4

 

定価 6,000円(税抜)

N° 193

Andreas Züst / Menschen Tiere Abenteuer

スイスのフォトグラファー/アーティストのAndreas Züst(アンドレアス・ツュースト/1947-2000年)はどこへ行くにもカメラを手放しませんでした。田舎を散歩する時も、夜の街へ出る時も、信頼出来る相棒のPentax カメラを携え写真を撮り、全ての被写体や出来事のメモを書き込んだモノクロ写真の写真日記を付けていました。本書『Menschen Tiere Abenteuer(英: People Animals Adventures)』は、1978年から1983年の間に撮られた写真が収められた最初の写真日記を元に作られました。

視覚的な出来事や社会的なつながり、当時起きた出来事に対するツューストの観察は時系列に並べられ、その被写体もチューリッヒの夜も賑やかなバーンホフ通りの風景から氷の模様、アーティストのアントン・ブリューヒンのポートレイトからツューストの家族まで非常に幅広いです。この時系列な見方は彼のメランコリックな作品への最も良いアプローチとなるでしょう。

また一方で、写真を撮るという行為自体を写真に収めようとしたり、多重露出をしたりして、ツューストは日常の中でも写真という表現方法自体に非常に興味を持っていました。これら全てを捉えるために、彼はしばしば独特の美学を持ってAgfa Ortho 25というモノクロフィルムを使用することもありました。

この丹念にリサーチされた本書はツューストの作品全てのエッセンスを凝縮した一冊であると同時に最もパーソナルな作品集であるとも言えます。

 

19.2 × 26 cm / 304 ページ / ソフトカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-93-5

 

定価 5,800円(税抜)

N° 189

Paweł Szypulski / Greetings from Auschwitz

『Greetings from Auschwitz』はポーランドのアーティストでキュレーターのPawel Szypulski(パヴェル・シプルスキ)が長年蒐集してきたナチスの死の収容所として有名なアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れた観光客によって送られたポストカードの珍しいコレクションです。一番古いポストカードは1947年のもの、つまり収容所の解放からまだ2年ばかりしか経っていない頃のもの。

本書に収録されているポストカードのほとんどが収容所を訪れた一般の人が実際に家族や友人、知人宛に送ったものです。その中のひとつで、ある男性が「greetings from Auschwitz(アウシュヴィッツからの挨拶)」としてグリーティングを書き、最後に「追伸:こちらは問題ないです。ただ私が恋しく思うのは貴方と日光です」と綴り、ポストカードの表面には入り口の門と火葬場の煙突が写った収容所の全景の写真が印刷されています。他のカードには、「アウシュヴィッツより、夏の風と共に暖かい挨拶を送ります。貴方の妹より」と書かれ、表面には “死のブロック”と呼ばれた、ガス処刑を行ったブロック11の画像が印刷されています。こういったポストカードは未だにアウシュヴィッツのお土産として観光客に売られています。

ホロコースト関連のアート作品の主要なテーマは「沈黙」です。しかし、これらのシプルスキによって蒐集されたポストカードはそのテーマから根本的に異なり、おしゃべりでアウシュヴィッツには不適切な物語が綴られています。本書にて提示されているホロコーストの社会的な記憶は、いわゆる高尚芸術や科学的な議論で語られる記憶とは全くかけ離れたものです。『Greetings from Auschwitz』は私たち人類の歴史上の大きな悲劇がもたらした社会のトラウマに取り組む、言葉とイメージの過ちに関するヴィジュアルエッセイであり、多くを考えさせられる一冊です。

 

21.5 × 22.5 cm / 88 ページ / ハードカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-89-8

 

定価 3,800円(税抜)

N° 184

CLAUDIO CAMBON / Shipbreak

『Shipbreak』は、1990年代後半のバングラデシュを舞台に、アメリカ商船の最後の航海と船体の解体作業からリサイクルされるまでのストーリーを紹介する本です。登場するのはその船を1960年代初期に作り上げたアメリカの船大工たち、およそ40年ちかくも船で仕事をしてきた船乗りたち、ほとんどを手作業によって行うバングラデシュの船の解体業者たち、そしてインフラと経済を発展させるための国の取り組みの一部として解体された船の素材を生活の中に取り入れて利用している多くの人たち。豊富な写真とテキストにより、どのようにしてこの船がこれらの人たちにとっての試金石となってきたのかを伝えています。

また本書は、いかにしてそれらの人々の生活が集合的にこの船という壮大なオブジェクトにメタファー的な命を与えてきたかを描写していると共に、数々の写真や船の設計図から鋳直された金属のオブジェクトまでを紹介することによって、船が産まれ、生き、死に、そして以前の姿に少し似た形で無数の新たな形に生まれ変わって再生するまでの姿を映し出します。

 

22.8 × 28 cm / 176ページ / ハードカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-84-3

 

定価 5,500円(税抜)

N° 186

OLIVIER SUTER / JEAN TINGUELY. TORPEDO INSTITUT

「泥棒のために刑務所があり、アーティストのために美術館がある」ー これはスイスのアーティスト Jean Tinguely(ジャン・ティンゲリー/1925-1991年)が掲げた信条でした。ティンゲリーは1988年にフライブルクとローザンヌの中間にあるラ・ヴェルリという田舎街にあった廃工場を買い取り、そこで4年間休むことなく働き、多大な労力を費やし、ようやく「完全なる“アンチ”美術館」を作り上げ、そこを「Torpedo Institut」と名付けました。彼はその3000メートル平方にも及ぶ巨大な工場を、作業場と劇場舞台、展覧会場の全てを合わせたスペースへと作り替え、その暗く巨大なホールにて、ティンゲリーは自身のマシーンや彫刻作品を展示するだけではなく、ニキ・ド・サンファルやエヴァ・エプリ、ダニエル・スペーリやベン・ヴォーチェなどといったアーティストたちの作品も展示しました。この“アンチ”美術館の開館時間は不規則で入場するのが非常に困難でした。スペースは常に進化し続け、独自のルールによって統治されていました。そこはまさにティンゲリーのアーティストキャリアにおける正式でコンセプチュアルな統合体を象徴する本質的な作品そのものでした。

しかしティンゲリーの遺言に反して、彼の死後「Torpedo Insitut」は解体され、その後は彼の作品リストに入らないどころか、バーゼルのティンゲリー美術館発行のカタログにさえ掲載されず、語られることもほとんどありませんでした。

本書『Jean Tinguely. Torpedo Insitut』では、この“アンチ”美術館にティンゲリーの晩年の作品群のひとつとして正式な場所を与え、初めて「Torpedo Institut」を再構築する試みのために啓発的で真正なる証拠書類を提示します。つまり本書はティンゲリーの作品の受入れのために切実に必要とされていた、非常に重要で興味深い一冊なのです。 

 

※本書はドイツ語版とフランス語版のみで、英文テキストは掲載されておりません。

 

20.5 × 28 cm / 256 ページ / ハードカバー / 2015年

ISBN: 978-3-905929-85-0

 

定価 6,300円(税抜)

N° 188

HILAR STADLER / GASOLINE AND MAGIC

ベイビー・ブルーのポルシェ917やシボレー・カマロ、ブルーやレッド、イエローのストライプのオーバーオール、胸元の開いたシャツを着てフサフサの髪と髭をたくわえ、まぶしい笑顔の男性たち。太いアイライナーとベルボトムパンツの女性たち、ニットのビキニを着てゴールで花冠を持って待っている女性たち。

こういった1960~80年代のモータースポーツを象徴するものたちは、今となっては私たちに懐かしい想いを喚起させます。

しかし、本書はただ昔の美しいレーシングカーへのノスタルジーを伝えているだけではなく、まだメジャーなカーレースの数々が一般道で繰り広げられていたり、野心的な自動車整備工たちが地元のガレージでレーシングカーを下手にいじくり回していたり、世界的なグランプリのスターたちがまだ身近な存在だったり…そんな過去の時代への憧れをより広範囲に伝えています。

髪を耳にかける仕草をするジル・ヴィルヌーヴ、石垣の上で休憩しているペドロ・ロドリゲス、ホワイトジーンズにカウボーイブーツでぼんやり立っているジョー・シフェール、物思いにふけっているアイルトン・セナ。モナコからル・マン、そしてパレルモの丘のカーレース。

本書に掲載されている印象的でリラックスした雰囲気の写真の大半はレーシングカー愛好のアマチュア写真家たちによって撮られたもので、スイスの映像作家でありコレクターでもあるThomas Horat(トマス・ホラット)が何年もかけてこれらの写真を見つけ出し、整理・分類してきました。よって、これらの写真は本書で初めて世に出る写真となります。

 

21 × 31.5 cm / 288ページ / ハードカバー / 2015年

 

定価 ¥6,500(税抜)

N° 219

Judith Bernstein / Dicks of Death

50年以上にわたり、私との最も強力で強烈な関係は私の仕事にありました。60年代のイェール大学の大学院生として、私はフェミニストと男性の姿勢を表すメタファーとしてペニスを使用し始めました。当時、イェール大学は全て男子学部のプログラムでした。私は男性のトイレで発見した落書きに魅了され、その生のユーモアと編集されていない書きなぐりからインスピレーションを得ました。私の仕事では、攻撃性とユーモアが強く結びついています。これは私の作品「Supercock」(1966年)の中で、世界に射精する巨大な男性器を持つ漫画のスーパーヒーローを描いたものが代表的です。 「Fun-Gun」(1967年)では、ペニスの解剖学的描写の上に本物の弾丸をコラージュしました。私の「Fuck Vietnam」シリーズは正にそれらの始まりでした。落書きの影響は、私の作品全体を通して、そして「Dicks of Death」(2015年)のようなタイトルからも察することができます。ペニスのぬいぐるみと血液、精液を国家的イメージ像と米国旗に並べて展示しました。可笑しいかもしれませんが、それは大真面目だったのです。

木炭は私のお気に入りの素材です。 私のキャリアの中で、木炭を扱う経験は非常にダイナミックで、個人的なものでした。 これらの政治的描写には、強い意志に基づく直感的なものがあります。 木炭の作品は反戦、フェミニズム、セクシュアリティの合併を表しています。

これらのテーマを超えて、私の作品は人間の精神の中にある幾重にも重なる層の探求をしています。 私の芸術は、人間関係の緊急性と複雑さ - 私たちの起源から今日まで共鳴する永続的に発生する問題を見る人に直面させます。 (ジュディス・バーンスタイン、ニューヨーク、2016)

 

22.5 × 34 cm / 188ページ / フルカラー/ ハードカバー / 2016年

 

定価 ¥7,500(税抜)

N° 217

Daniela Comani / Sunsets

『OFF』というDaniela Comani(ダニエラ・コマーニ)の写真シリーズは、メディアに関係する知覚というテーマからは少し離れたものです。 彼女は動画の再生装置としてのテレビという存在を入念に緻密に調べたところ、ひとたび電源を切ると一見テレビは死んでいるように見え、冷たい物体になります。しかしそれと同時にテレビは見る者に彼らの幻想と恐怖を写し出す画面にもなります。例え画面が消されてもテレビの暗い画面には部屋と部屋の中の人と物を映しているので、中身が失われる訳ではないのです。

ダニエラ・コマーニは単に電源の切れたテレビの写真を撮るだけではなく、新しい見え方と洞察をもたらすビッグバンのような暗い画面に当たるフラッシュ、主人公の映り込みを消し去るような明るい光までも写真に撮りました。 彼女がシャッターを切った瞬間、一瞬のフラッシュはテレビ画面と奇妙に混じり合い、まるで夕日のある小さな風景を作り出しました。

また、この作品シリーズはデザインに関するものでもあります。さまざまな形状、サイズ、デザインのテレビのミニマルな風景のために、アーティストは慎重にブランド名を削除して、それぞれ異なるセットアップの物理的な特異性を引き出しています 。 オブジェクトは正面から撮影され、それらはまるで写真から見ている者を見つめる人々のようです。

それぞれのテレビの枠部分は絵のフレームとして機能し、絵にテレビとの本質的なつながりを示唆します。 写真はプラスチック製のテレビを2次元の画像に変え、そしてコマーニはその写真を台紙に貼り付けて新しい立体物を作成します。 各写真は、無限の再現性という技術的能力を備えた写真の連続性であるにもかかわらず、たったひとつだけのものなのです。 (レナータ・シュティーヒ、ベルリン、2011年)

 

21 × 26 cm / 64ページ / カラー図版 32点 / ソフトカバー / 2016年

 

定価 ¥3,600(税抜)

N° 204

Alan Reid / Warm Equations

『Warm Equations』は作品集ではなく、不安定で気まぐれなテーマの研究です。 ニューヨークに拠点を置くAlan Reid(アラン・リード)の絵を暗号を解く鍵として取り上げたこの本は、作家側の制作終了の合図の延期や、重点が彼の作品からコントリビューターたちの多様な声へとシフトしていったことによりぐるぐると回っていました。これらの声は舞台裏から急いで入ってきて、自分の関心事を言葉にし、無階層的に暴れ回るテキストのテンポとリズムを設定し、周辺の隠喩を理解したり組み込んだりします。

本書はアラン・リードの絵画作品と共にMatthew Brannon、Corina Copp、Jill Gasparina、Kristen Kosmas、Ella Kruglyanskaya、Alan Reid、Lisa Robertson、Chris Sharp、Rachel Valinsky、Jamieson Websterによるテキストで構成されています。

17.6 × 25 cm / 220ページ / カラー図版 38点 / ソフトカバー / テキスト:英語 / 2016年

 

定価 ¥5,400(税抜)

N° 218

Jean-Luc Cramatte / Culs de ferme

本書『Culs de ferme』にて、Jean-Luc Cramatte(ジャン=リュック・クラマット)は、しばしばきれいで秩序だっていると誇張されているグローバライズされた風景の中に、さまざまな形の集合体を描写しようとしています。 彼の意欲的で反逆的なプロジェクトはギリシャ神話のプロメテウスのようです。 クラマットは社会的な断層を熟知していて、物議を醸すフォトグラファーとして認知されているかもしれません。例えばスイスの郵便局を使った作品シリーズ『Poste mon Amour』(2001-2008)なんかが良い例の一つです。

彼自身の写真とファウンドフォトの両方を含む写真の蒐集家であるクラマットは、20年前からそれらの写真コレクションを編集してきました。彼は思考し、連続的に作業し、集まった記憶のギャップが広がるのを止めるあらゆる種類の証拠を確保するのが好きです。 常に独特な概念に基づいた目に見える世界の彼の検査は、目立たない見落とされがちなものに目を向けます。 彼の写真コレクションは今日における"普通の"世界にユーモラスで批判的な光を放つことによって、日常生活の伝統的な民族誌を作り出しています。 彼は時にカタログのコンセプトを限界にまで徹底的に選び抜きます。たとえ見苦しさや殺風景さ、単調さを避けることなく、厳密なドキュメンタリーアプローチを堅持していたとしても、現実を再考します。 彼の作品は、日常的な詩で終わります。

23.5 × 30.5 cm / 288ページ / カラー図版 200点 / ソフトカバー / テキスト:フランス語 / 2016年

 

定価 ¥6,800(税抜)

N° 215

Basile Mookherjee / Fully Fueled

かつて砂漠があったところでは都市は何マイルにも広がっていて、それらのパーツはまるでコピー&ペーストされたかのようにコンピュータ画面の黒い深みから沸き立つように見えます。16車線もある高速道路は都市のリズムを生み出し、毎日の通勤はしばしば数時間もかかります。アラブ首長国連邦では、あらゆることがあなたの車の中やその周辺で起こります。 だから、この国の若者たちが車に乗っている時がまるで家にいるかのように感じるということもさほど不思議なことではありません。車は自由を象徴するものであると同時に動く住居や一時的に独立した空間であり、免税であり、そして何よりも重要なことはそれら車を見せびらかすことです。車は、あなたがどんな人で、どんな人になりたいのか、を示しているのです。車はステータスシンボルの他に、異性との直接的な接触が禁止されている社会において有力な誘惑手段としても役立ちます。

『Fully Fueled』は、若いフランスの写真家 Basile Mookherjee(バジール・ムーカジ)が2012年から2014年にかけてドバイとアブダビの街にて撮った、アラブ首長国連邦の祝日の記録です。これらの写真の隠されたスターはもちろん車であり、視界がフロントガラスレベルよりも上がることはほとんどありません。 ディシュダーシャ(男性用)とアバヤ(女性用)という伝統衣装を着た彼らは、写真家が言うように「車のレンズを通して」撮影されたかのように見えます。本書は、本質的に遊牧民的な中東文化の中で生まれた都市におけるアラブ首長国連邦で突然おきたオイルマネーによる近代化とその国における美学の表現を反映しています。砂漠の砂埃とゴッサムシティ、イスラムと消費のパワー、伝統と近代、、、それらの間の世界を垣間みることが出来るでしょう。

26 × 33.5 cm / 172ページ / フルカラー・カラー図版191点 / ソフトカバー / 2016年

 

定価 ¥4,500(税抜)

N° 222

Iwan Schumacher / 1972 – At Home and on the Way

アーティストのポートレイトで知られる映画監督のIwan Schumacher(イワン・シューマッハー)は、1972年の初めに小さなカメラを買ってからはどこに行くにもカメラを持ち歩き、写真を撮りました。そのカメラは彼のノート代わりでした。 シューマッハーはその後、彼が出会った風景、人、ムードが変化するライティングの魅力に気づきました。 彼の小さなキヤノンでは、今日の携帯電話で写真を撮る方法とは異なり、特定のテーマや対象物がなくても意図することなく撮り続けることが出来ました。

シューマッハーは1972年の前半をイギリスで過ごし、そこで1年半の間、美術学校で写真撮影を教えていました。 スイスに戻った後、彼はドキュメンタリー映画を手伝い、その後彼自身の最初の映画を制作しました。 時の経過とともに写真の日記を続けることへの関心は薄れてゆき、1972年後半になると完全に写真を撮ることをやめ、映画制作に専念しました。

シューマッハーによって撮影された友人や同僚は、当時まだ若者であり、彼らの専門的なスキルを活かせる職を探しているところでした。 ポートレイトの中の彼らの気分は、喜びと憂鬱の間のを行ったり来たりしています。 また、被写体には友人だけでなく、ゴミ拾い、郵便配達員、子供を抱いた母親、アルフレッド・ヒッチコックのポートレイト、眠っているカップルの写真なども含まれています。車や電車の窓から撮影されたショットの多くはぼやけており、詩的で夢のような質感があふれています。

本書では約3,000枚のモノクロ写真のうち、シューマッハーによって選ばれたとある1年を撮影したもの約120点を掲載しています。

 

19.5 × 25.5 cm / 160ページ / カラー図版132点 / ハードカバー / 2016年

 

定価 ¥4,600(税抜)

N° 223

Barbara Heé / Waters

チューリッヒの南東に位置するヒンヴィールで、友人たちにバッハテル山の近くに好きな場所があるかどうか聞きました。 例外なく、彼らはそれぞれの子供時代の滝を思い出しました。 それから私は彼らが記述したスポットを追跡し、それらの滝を何ヶ月も写真で記録しました。 暴風雨、洪水、夏の渇水期の後など…。そして、私は夕暮れ時に起こる不思議な現象を突き止めるために、その時間帯の撮影へと焦点を変えました。暗くなってからの撮影を可能にするためにはいくつかの条件が必要になります。それは冷たい風が吹き、月が輝いていなければならず、同時に嵐や雨が降っていること、これらの条件が同時に全て揃っていなければなりません。そして、滝の流れ落ちる水は氷のように冷たくなければなりません。しかし、これらの条件すべてが揃ったとしても必ずしも不思議な光が現れるという保証はありません。 そしてその光が現れたとしてもその現象が15分以上続くことは決してありません。

私はこの本のために12,000枚の写真を撮り、それらの写真を加工したりクロップしたりしませんでした。ただシャッターを切っただけです。過去数年間、私の精神的なイメージと私の絵やドローイングに最も近い写真を選んできました。 私の夫ジョンは昼も夜もこれらの撮影にツアーに同行して、私が滑りやすい崖から転落しないように見守ってくれました。私は妖精や小人、幽霊または他の自然や超自然の生き物を撮影するつもりはありませんでした。彼らは皆同じことが神秘的な偶然性や自然からの贈り物の1つであることを示しました。 夕暮れを探索することは神秘的な追求です。昼が死に、夜が生まれる時。これらの滝の写真は、私にとって贈り物です。それはまるでグリム童話の『星の銀貨』の主人公の女の子が彼女の肌着を開いたところに幾多もの星が落ちてきたようなものなのです。(Barbara Heé)

21 × 29 cm / 140ページ / カラー図版135点 / ハードカバー / 2016年

 

定価 ¥6,000(税抜)

N° 225

Eric Bachmann / Casa Verdi

時計の針がゆっくりとランチタイムに向かっていく頃、ミラノのブオナロッティ広場ではそこをすり足で通り抜けていく何人かの興味深い人たちの姿が突然現れます。そのうちのひとりは極端につばの広い帽子をかぶり、彼の行く道を横切る誰に対しても帽子を取り優雅におじぎをして挨拶をします。他のひとりは昼間から暗い色のタキシードスーツのような服を着て、まるで永遠にサインを求められ続けることに嫌気がさしたかのようなしかめっ面をしています。

これらの一風変わった人物たちは新ゴシック様式のファサードを持つ小さな宮殿のような派手な建物に向かっていきます。 彼らは1896年に作曲家 ジュゼッペ・ヴェルディによって創設されたカサ・ヴェルディ、通称「音楽家のための憩いの家」と呼ばれる老人ホームの居住者であり、そこには晩年に貧困に陥ってしまった音楽家やオペラ歌手など、ヴェルディが控えめに言うように"私より運に恵まれなかった”人たちが入居しています。

映画監督 ダニエル・シュミットが1984年にこのカサ・ヴェルディを舞台に現役引退した歌手の姿を捉えた映画『イル・バシオ・ディ・トスカ』を公開するよりも前に、スイスのフォトグラファー Eric Bachmann(エリック・バックマン)とドイツのジャーナリスト Christian Kämmerling(クリスチャン・ケンメリング)は1981年にスイスの雑誌のためにカサ・ヴェルディの哀愁に満ちた世界を撮影し、紹介していました。

本書は、バックマンの撮影したアーカイブ写真とケンメリングによる繊細なエッセイ、現役を引退した音楽家や歌手たちの膨大な量の経歴をまとめた一冊です。カサ・ヴェルディのドアマンの暗いロッジにある小さなボードに掲示されている60余りの居住者たちの名前を表す黄色のプラスチックのブロック文字のいくつかは、今やはがれ落ちそうになっていて、まるで糸でつるされているかのようです。それらの背後にはそれぞれの居住者たちの数奇な運命があり、それぞれの人生が当初に望んでいたものとは異なった形に進んできています。

「どうして私は有名になれなかったのだろう?」「なぜ彼は成功して私は成功できなかったのだろう?」もしくは一時成功した人も「一体全体、私のあの頃の財産は全てどこに消えてしまったのだろう?無駄遣いしてしまったからだ。でも何に使ってしまったのだろう?」ー こういった彼らの不運に対する全ての疑問に関わらず、ここカサ・ヴェルディでは晩年はもうこれ以上心配する必要がないという希望の光があります。ヴェルディはこの家に、自ら「最高傑作」と呼ぶ彼の莫大な財産の礎、すなわち彼のオペラ作品の真実性という遺産を残したのです。

 

17.5 × 25 cm / 153ページ / ソフトカバー / 英語・ドイツ語 / 2017年

 

定価 ¥4,000(税抜)

アンカー 1

N° 227

Claudia Comte / 40 x 40

この本は、限られたスペースで作品の遊び心あふれる単純化を生み出すために、空白のページにひとつひとつをつなぎあわせて展示をするような、一種の展示スペースです。作品の中で写真は、漫画のようにアイデアを物語り、Claudia Comte(クラウディア・コント)のペインティングやプリント、壁画の一部にインスピレーションを与えたグラフィック作品を除いて、三次元の立体をこの本の二次元の平面に収まるように変化させています。視覚的な組み合わせと順列の厳密な演出において、平面、線、四角形が象徴的な空間を占めています。それは、この本を一種の二次元彫刻に変える不条理なものです。

本書はデカルト座標系のように数学的に構造化されています。 横のx軸(横軸)は各ページを2つの平面に分割し、ブックの真ん中を折りたたむと縦のy軸(縦軸)を形成します。 大型(40×40cm)のこの本の仕切りは、各見開き上に4つの小さな正方形を作ります。このデカルト座標系は、コントが彫刻やパターンの可能性、平行移動、回転、反転、映進などの幾何学的操作を探求する遊び心のある空間になっています。 そこから得られる形状は位置を変え、より大きなパターンの一部を残しながらユニークな彫刻へと発展していきます。 それらは奇妙に進化し、2つの軸が交差する起点を中心に回転しますが、常に等尺性を保っています。 よって、この本は上からも下からも、そして左からも右からも、4つの側面すべてから読むことができます。

 

20 × 40 cm / 416ページ / ソフトカバー / 英語 / 2017年

 

定価 ¥8,000(税抜)

N° 220

Taiyo Onorato & Nico Krebs  / Continental Drift

2013年の4月、12年間に渡り共に作品を作り続けているフォトグラファーのNico Krebs(ニコ・クレブス)とTaiyo Onorato(タイヨ・オノラト)は1987年製のトヨタ・ランドクルーザーに乗り込み、スイスから東へと向かう旅に出掛けました。彼らはユーラシアの地図上で、最終目的地であるモンゴルの首都ウランバートルへの道筋をおおまかに指で辿りました。それはユーラシア、中央アジア、ヒマラヤ山脈、シベリアの森林、スタン共和国、旧ソ連の広大な領土、、、といった東方の神秘的な国々への遥かなる探検のように感じられました。とてつもなく広大な土地ですが、私たちの中にはそれらの国々のイメージがほとんど無く、少なくとも明確でハッキリと定義できるイメージは無く、むしろ歴史と国際的な政治の霞がかかっているかのようです。ニコ・クレブスとタイヨ・オノラトはそれらのイメージを再構成し、彼ら自身のイメージを作り出すために探しに行きました。

『Continental Drift』は、未知なる土地に関するドキュメンタリーとフィクション、過去の可能性と予想される未来についての微妙な境界線をまたぐ旅行の記録です。それは、まったく奇妙で近づき難い外国人たちとの出会いであったり、彼らがこれまでに経験したことの無い程に非常にオープンで惜しみの無いおもてなし精神であったり、前作『The Great Unreal』でのアメリカ横断旅行の体験とは激しい対比でした。

彼らが辿った国や地域の多くは、千年の伝統と共産主義の歴史と地政学、宗教的、領土的、民族的混乱のなかで捉えられた激変の渦中にあり、グローバル資本主義の波に乗りたいという欲求がありました。 ここでのアイデンティティの探求は明白です。本書で描写された、アテンダントの混乱に伴う探求です。

 

24 × 33 cm / 214ページ / ハードカバー / 2017年

 

定価 ¥7,800(税抜)

N° 234

Jean Willi  / Steingesichter

パレイドリア(Pareidolia)とは、岩や石の中に人間の顔や動物の頭などを認識したり、無生物の中にそこには存在しないものを知覚する心理現象のことをいいます。 よく知られている例は火星にある人の顔のように見える岩山で、「火星の人面岩」などと呼ばれています。パレイドリアは、自分の想像によってそれを変えたり、完成させたりして普段からよく知っているイメージを形成したりする、心理的な錯覚です。

何年もの間、スイスの画家でありライターでもあるJean Willi(ジャン・ウィリー)は、顔のように見える石を撮影したところ、一見すると石化した「人間」であふれているように見える石の領域を発見しました。それは多くの場合、光が変化すると消えていく、岩の中の顔をトレースする太陽光であり、時には目のように見える2つの暗い影であり、そこから見る人が心の目で見て作り上げていたのです。問題は、私たちが実際に何を見て、それを意識的にあるいは無意識のうちに見覚えのある何かへと変化させるのか、ということです。アートの起源は、そのような主観的な捉え方にまで遡るかもしれません。シャーマンは、あるスピリットと接触するためには植物や石の中に顔を見いだす必要があると主張しています。

彼の作品の中で、写真家の目線は、少なくとも三分の二の石の中に顔が見いだせると確信するに至りました。私たちの多くが道端に落ちている木の枝やくしゃくしゃになった紙くずを、蛇や鳥の死骸と勘違いした経験があるかと思います。この本の中の多くの顔はとてもリアルなので、その性質が自然と光の遊びだけで描かれているとは信じられません。 撮影された石や岩は撮影のために配置したりしておらず、どの写真もレタッチされていないことは言うまでもありません。

これらの写真は、2015年4月27日から2017年1月12日まで、スペインのイビサで撮影されたものです。

 

14 × 22 cm / 208ページ / ソフトカバー / 英語・ドイツ語 / 2017年

 

定価 ¥4,600(税抜)

EPF May 2017

N° 231

Billy Bühler, Dominique Frey  / SKUTER

『SKUTER』(インドネシア語で「スクーター」の意)は、インドネシア・スマトラ島の人々のスクーター生活を紹介する写真集です。主に通勤の際に電動スクーターを利用している人たちの姿を写したこれらの写真は、アチェ高地から北スマトラの中心地であるメダンへの2日間の旅の間に走っている車の窓から撮られたものです。時には全家族を乗せて走っているこれらの電動スクーターはインドネシア人にとっては手頃な価格で利用できる移動手段となり、諸島での暮らしにおいて必要不可欠なものとなりました。

これらの写真は2015年の秋に、Billy Buhler(ビリー・ビューラー)とDominique Frey(ドミニク・フレイ)がパーム油産業と広がる森林伐採についてのドキュメンタリー・フィルムを撮影するためにスマトラ島を訪れた際に撮られたものです。

 

15 × 20 cm / 348ページ / ソフトカバー / 2017年

 

定価 ¥4,500(税抜)

N° 216

Pierre Leguillon, Barbara Fédier  / Oracles – Artists’ Calling Cards

本書では、18世紀から現在に至るまでのペインターや彫刻家、写真家、建築家、グラフィック・デザイナーなど様々なアーティストたちの123枚の名刺を紹介しています。そのまま複製された名刺が本書のあちこちにまるでしおりのように挟み込まれており、それらの名刺が使われてきた歴史や、作られた当時の社会背景、そして関連する物語が書かれています。これらの名刺というパーソナライズされたオブジェクトはしばしば驚くべきグラフィックのクオリティーで、小さな長方形の中の限られた制約の中で個人のアイデンティティが巧みにデザインされており、それとなく西洋におけるテイストの歴史やタイポグラフィの規範などを物語っています。

本書を見る事によって私たちは、Facebookが登場する以前にいかにしてソーシャルネットワークが形作られてきたのか、そしてアーティストたちがどのようにして社会面で自身を定義付けしてきたのか、ということが想像出来ます。

この、”ポケット・ミュージアム”とも呼べる本書は、美術史の学生や歴史家、人類学者や図書館司書、公文書保管人、ギャラリスト、キュレーター、そしてアーティストたち自身の生きたネットワークの偶然の出会いによって作られました。ここに集められた様々な視点と物語は、この本を素晴らしい考察の場とすることでしょう。

収められている名刺のアーティスト:Absalon, Anni and Josef Albers, John Armleder, Iain Baxter, Larry Bell, Joseph Beuys, Joseph Binder, Max Bill, Pierrette Bloch, Rosa Bonheur, Irma Boom, Aglaüs Bouvenne, Constantin Brancusi, Marcel Broodthaers, Antonio Canova, Caran d’Ache, A.M. Cassandre, Chenue malletier, Iris Clert, Claude Closky, Le Corbusier, Silvie Défraoui, Sonia Delaunay, Fortunato Depero, Marcel Duchamp, A.R. Dunton, Céline Duval, Nathalie Du Pasquier, Yan Duyvendak, Daniel Eatock, Edward Fella, Sylvie Fleury, Schwestern Flöge, Piero Fornasetti, Hans Frank, Lene Frank, Emile Gallé, General Idea, Dan Graham, Wolfgang von Gœthe, Jean-Baptiste Greuze, Walter Gropius, Guerrilla Girls, Hector Guimard, Friedrich Haeffcke, Raymond Hains, Keith Haring, Raoul Hausmann, John Heartfield, Anton Herrgesell, Jean-Auguste-Dominique Ingres, Ray Johnson, Ana Jotta, Wassily Kandinsky, André Kertész, Martin Kippenberger, Paul Klee, Johann Adam Klein, Yves Klein, Július Koller, Joseph Kosuth, Yayoi Kusama, Carl Gotthard Langhans, Fernand Léger, Pierre Leguillon, George Maciunas, Robert Mallet-Stevens, Edouard Manet, Piero Manzoni, Christian Marclay, Filippo Tommaso Marinetti, Karel Martens, Annette Messager, Lucia Moholy, Piet Mondrian, Valérie Mréjen, Félix Nadar, Isamu Noguchi, The Offices of Jenny Holzer, Peter Nadin, Richard Prince and al., Yoko Ono, Claes Oldenburg, Nam June Paik, Francis Picabia, Adrian Piper, Emil Pirchan, Man Ray, Les ready made appartiennent à tout le monde®, Carl August Reinhardt, Gerrit Rietveld, Auguste Rodin, Edward Ruscha, Alexander Search, Willem Sandberg, Erik Satie, Gino Severini, Johan Gottfried Schadow, Egon Schiele, Oskar Schlemmer, Käthe Schmidt, Roman Signer, Alec Soth, Gertrude Stein and Alice Toklas, Jack Smith, Hélène Smith, Harald Szeemann, Sophie Taeuber, Karel Teige, Oliviero Toscani, Theo van Doesburg, Roman Vishniac, Andy Warhol, Weegee, Neill Whistler, Heimo Zobernig, Piet Zwart, Emmy Zweybrück Prochaska

 

20 × 26.5 cm / 320ページ / ソフトカバー / 英語 / 2017年

 

定価 ¥18,500(税抜)

N° 229

Mélanie Veuillet  / Tools of Disobedience

『Tools of Disobedience(反抗の道具)』では、2014年にスイスのロマンディーにある刑務所で撮影された185枚の写真が掲載されています。それらの写真に写っているものは、刑務所の囚人が独房の中で秘密裏に粗末な道具や素材を使って作り、その後に没収されたオブジェクトです。それらのオブジェクトの多くは刑務所の塀の外で我々が日常的に使っている物の機能的な複製物でした。それは、狭い場所で道具も使わず祖末な素材を使って作ったものを常に監視の目から隠し続けなければいけない、という様々な制約や欠如の下で必要とされる囚人たちの驚くべきスキルと発明性を証明しています。

利用可能な素材は改造され、組み合わされ、再利用され、それによって本来の機能を失い別の新しい特性を生み出します。オブジェクトはしばしば複製の元となったものとは全く異なって見えますがちゃんと機能的で、本来の物よりもシンプルで重要な物のように見えます。

これらオブジェクトは全て記録資料の撮影スタイルで撮影されました。ニュートラルな人工照明の下では、まるでオブジェクトは広告のために撮影された工業製品のように見えます。オブジェクトのもつハイブリッド性から、本書は奇妙だがどこか馴染みがあり、そして深遠で非常に主観的なビジュアル辞書となるでしょう。

 

22.5 × 30 cm / 116ページ / ソフトカバー / 英語・フランス語 / 2017年

 

定価 ¥4,500(税抜)

N° 228

Keiichi Tanaami & Oliver Payne / Perfect Cherry Blossom

『Perfect Cherry Blossom』は、イギリスのアーティストOliver Payne(オリバー・ペイン)と田名網敬一の、待望の初コラボレーション作品集です。この新しい作品シリーズのためにペインは田名網のオリジナルドローイングの上に日本の「bullet hell」というゲームに登場するモチーフのステッカーでコラージュを施しました。この「bullet hell」に見られる"shoot 'em ups"という撃ち合いゲームのジャンルは、その画面の美しさやサイケデリックでカオスな点においてのみならず、秀逸で純粋なゲームとしてハードコア・シューティングゲームの世界では非常にニッチで特別な存在でした。映画やポップカルチャーを題材に作られた一般的な人気ゲームとは異なり、「bullet hell」は独自の複雑なシステムとルールを持った閉鎖的なゲームです。ペインにとってこのゲームの非常に重要な要素は、例えば"bullet curtains(銃弾のカーテン)"と呼ばれている「パターン」でした。プレイヤーたちはゲームのレベルを上げていくうちに敵のボスの動きのパターンが分かってきて、それを覚えていくようになります。そのパターンはとても巧妙で非常に複雑なものです。

田名網は日本版『プレイボーイ』誌の初代アートディレクターとして活躍し、アメリカと日本のポップアートを融合させた作風でモンキーズやジェファーソン・エアプレインのレコードジャケットのデザインなどをしてきました。

長年に渡りお互いを称賛しあってきたペインと田名網が出会い、ついにこのコラボレーションが実現しました。本書には、新しいコラージュ作品の他に二人の対談も収録されています。

 

28.5 × 38 cm / 80ページ / ソフトカバー / 英語・日本語 / 2017年

 

定価 ¥5,200(税抜)

N° 237

Christoph Kappeler  / Josef Maria Schröder

1886年にデュッセルドルフで生まれ、1965年に亡くなったドイツ人の Josef Maria Schröder(ヨーゼフ・マリア・シュレーダー)は、今日に至るまで全く無名の画家でした。シュレーダーはデュッセルドルフで銀行員として働いていましたが、1913年に思いきって芸術の道に献身することを決心しました。当時社会的にも芸術的にも活気のあったベルリンにて、画家のユージーン・スピロ (1874年~1972年)の元で見習いとして働いた後、初の個展にてマックス・リーバーマン・ファウンデーション賞を授賞し、画家として初めての成功を手にしました。

生まれつき片足が短かったシュレーダーはドイツ軍への徴兵を免れましたが、その後40年間に渡り戦争がもたらした全ての困難と喪失に直面させられました。展覧会の禁止、仕事依頼のキャンセル、悲惨な経済的苦境、そして芸術に対する援助の欠如により、彼は”ロスト・ジェネレーション(失われた時代)"の代表者となったのです。

彼の作品の多くはポートレイトや風景画、抽象画です。自身の作風を突き詰めていった結果、ついに1950年から発展させ続けてきたボールペンで描く技術を極めました。後期の作品では、シュールレアリズムや構成主義の持つ強烈に輝く抽象的なコンポジションを生み出すために20世紀前半の様々な芸術様式を幅広く取り入れました。そのように異なる形式や色を幅広く取り入れたことが特別に強い印象を残し、非常に様式化したポートレイトの背景として役立ちました。

シュレーダーの娘のセシリーが2008年に亡くなるまで、彼の作品は彼女のアパートの部屋の片隅でほこりをかぶっており、一度も展示されたり販売されることはありませんでした。しかし2012年にドイツのフライブルグにあるPost Fine Artsギャラリーが彼の作品を購入したおかげで、ついに日の目を見ることができ、ようやく注目されたのです。

 

17 × 24 cm / 152ページ / ハードカバー / 英語 / 2017年

 

定価 ¥4,800(税抜)

N° 235

Thomas Krempke  / Das Flüstern der Dinge

2008年、スイス人アーティストの Thomas Krempke(トーマス・クランク)は写真を毎日撮り始めました。彼は撮った写真をプリントし、ノートに貼付け、写真について文章を書きました。結果としてそれは彼の知覚したものの記録であり、写真日記であり、見たものの製図となりました。彼は偶然いた場所どこでも、偶然出会ったものなんでも写真を撮り、そこに何も取ったり足したりしませんでした。写真に写っているのは驚くような出来事でもなく、戦争や貧困、異国の風景でもなく、私たちが「日常」と呼ぶものです。しかし日常を撮ることはカメラが表面的な外観からずっと奥深くを掘り下げるように世界をこれまでと同じではなく変化させ、私たちをこれまで見たことのない未発見の領域への極めて微細な探検へと連れていってくれます。それは日常のオブジェクトに尊厳や崇高さ、詩のような優雅ささえも与え、重要性を変化させます。

クランクは彼の写真を至るところに洪水のようにあふれているマスメディアの写真と対立させることによって、彼自身にとってのパラレルワールドであり暗号化した記憶や夢としての彼の人生を作り出したのです。朝目覚めた時に知覚が寝ている間の内的イメージと起きている時の外的イメージとの間で揺れ惑うかのように、彼は目覚めた状況で明確な夢遊病状態で狙わずに衝動に本能的に従い写真を撮りました。

これらの写真と文章のコラージュによって、彼は毎日の知覚、ものの見方、写真を撮ること、そして究極的には彼の世界の概念を作り出しているのです。

 

16.5 × 22 cm /  628ページ / ハードカバー / ドイツ語 / 2017年

 

定価 ¥6,000(税抜)

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