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​これは『SUBCULTURCIDE』に掲載されているテキスト(スペイン語・英語)の一部を日本語に翻訳したものです。本書について詳しくはこちらをご覧下さい。

プロローグ (序文)

 

テキスト:Andrea Ferrer

翻訳:UMMMI.

 

 70年代終わりのマドリードのこと。ビートニクやヒッピーを美学とする若者たちが、街じゅうのストリートに現れはじめていた。新しいサブカルチャーが生まれたのだ。彼らは終わりかけのフランコ政権の水面下で、当時街を覆い尽くしていた息苦しいスタイルから外れ、オルタナティヴな方法で着飾り行動することを探し求めていた。このオルタナティヴムーブメントは独自の文化として一気に広がり、それは後にmovida madrileña(スペインの喧騒)と呼ばれるようになった。民主主義が起こった最初の日、マドリードの街は元気よくきらめいていて、フランコ政権によって暗く荒涼としていた時の街並みとは正反対だった。そして新しい世界のコミュニケーションや表現方法として、違う手段でお互いが手を取り合って関係性を築いていくようになり、それによって、全く異なる社会集団が同時に同じ場所に存在するという新しい社会が構成されていくこととなった。

 

 しかしあれから30年が経ち、状況はすっかり変わってしまった。マドリードの魂だと表現できるような本質を街は失ってしまったのだ。レコード屋、歴史的なバーや朝までやっているナイトクラブ。それらの代わりにグローバル化を背景として、マドリードは様々な現代的な文化と混じり合っていくようになった。ダウンタウンの中心には、世界中どこにでもあるようなマルチブランドやベジタリアンのハンバーガー屋などが建ち並び、そして駅の名前ですらも、広告収入目的で海外の携帯会社の名前がつけられるようになった。2010年からの10年間で、地域ごとにそれぞれが孤立するようになってきた。街はますます高級化が進んでいるが、それとは裏腹に失業や職の不安定さ、政治の腐敗といったことがヨーロッパの街を後進国に仕立て上げている。この状況を反映させ、「sudapa」という新しい言葉が作られた。「sudapa」とは、ひどい財政危機や、家で惨めな状態のまま住み続けなければならない状態から逃げ出すために他のEUの国に移住しなくてはならなくなったスペインやイタリア、ギリシャといった南ヨーロッパの市民のことを指す。この「sudapa」という言葉が表す、時代が逆行していく感覚をマドリードの多くの若者たちが感じているのだ。

 

 私たちは自分たちがいま、都市や社会がどんどん変わっていく時代のど真ん中にいるのだと気づく。このプロジェクトを考えついて進めてきたこの二年間で、私たちはこの街の本質や未来の運命を、移民の人たちが担いはじめていることを目の当たりにしてきた。マドリードの地元の若者たちは、外国から流れついた人たち(そのほとんどが若いラテンアメリカ人)で、彼らと一緒にこれから10年のストリートの歴史を一緒に築くことになるだろう。そして、1970年〜2000年に若者たちが集まっていたダウンタウンの中心は、もう盛り上がってはいない。代わりに今日では貧困に陥った郊外の街が、本物のカウンターカルチャーとサブカルチャーの発祥を担っている。

 本書『サブカルチャーサイド』は、写真によってマドリードの様々なサブカルチャーを取り巻く環境や状況を紐解いていこうとする試みである。若い世代を取り巻く状況を、目撃者でもあり主人公でもある若い写真家のドキュメンテーションを通して、この10年間における名もなきユースカルチャーを代表するようなヴィジュアルを紹介していく本なのだ。

Photography by Laura Carrascosa Vela

 グローバル化によって私たちの本質や特徴、そして毎日の経験といったものが変化させられてきた。私たちはサブカルチャーと、50年代後期に起こった好景気と60年代後期の労働者階級の昇進という二つの主な社会的発展を研究することにより、バーミンガムスクール(注:1964年にイギリスのバーミンガム大学に設立された現代文化研究センターのこと)が設立されるに至った社会的状況をたどることができる。今日、世界中の社会的身分や文化が今まで以上にバラバラになっており、そのためサブカルチャーが固まっていた地域も、いまだかつてないほどそれぞれ散らばっている。いまの社会では、人々が自分で選ぶことのできる人生の選択肢がより多くなってきているだろう。例えば昔だったら、伝統的な風習が個人の発展に大きく影響を及ぼしていた。どこのコミュニティーで生まれたかによって、動かすことのできない社会的身分、性別的役割、宗教といった個人のアイデンティティが形成されていた。コミュニティーは、価値観やライフスタイル、倫理観と言ったものを植え付け、それぞれの人生における固定概念を作りあげる要素となった。しかし今は信じられないくらいに違う時代で、ほとんどの若い人たちが自由を望めば、生活や勉強、仕事、友人関係、愛または信念を自分の力で築き上げることができるようになった。

私たちが知っているサブカルチャーという概念は、もう終わった?

 

 『サブカルチャーサイド』は、時代の終わりと、何か新しいものが始まるときを表現するものである。この『サブカルチャーサイド』というタイトルは、サブカルチャーと、スーサイド(自殺)という二つの単語を混ぜて作った造語だ。これは私たちがサブカルチャーだと思っていたものについての終わりと、活発な盛り上がりを見せている完全に新しい若者たちのグループへの入り口を繋げることである。街が私たちの匿名性の共犯者となるように、ストリートがファッションショーの舞台となっているのだ。

 新しく広がりを見せた「ファッション」の意識は、いまの社会を生き抜くためには、見た目が極めて重大なポイントとなることを伝えてくる。ファッションの裏側にあるコンセプトが変わってきているのだ。それは、ただ単に洋服のことだけではなく、もはや、生活そのものがファッションなのである。つまりスタイルとはあなたが何を身につけているかではなくなり、あなたがどのようにそれを身につけ、そしてどんな生活を送っているかということになる。例えば、様々なサブカルチャーにいるであろう貧困層に生まれた男の子。彼らにとっては、ガールフレンドよりもナイキのスニーカーの方がもっと重要なものなのだ。こうしたスタイルは、彼らがどんな人生を送っているのかを表す本質となる。

 

 見ることと見られることが最大の関心事である若者たちにとって、いまのソーシャルネットワーキング(SNS)は自分が大きく声をあげるものとして使用されている。この新しい社会的状況は、グローバルな考え方を広めていき、私たちを取りまく現代の生活における各分野へと拡張していくだろう。インターネット上のアイドルたちは、様々なサブカルチャーの中心で若い人たちの参考になり、彼らのスタイルや信念を構成する上で強い影響を及ぼす。こういったアイドルが文化的なアイコンとしてアーティストに移行していくというのは、よくあるケースだ。70年代にセックスピストルズがパンクカルチャーのアイコンとなったように、いまの私たちの価値観を具体的に体現する人は、ビヨンセである。

Photography by Laura Carrascosa Vela

 ある役柄や経験を物語ることのできる唯一無二の領域への入り口として、神秘的に語られるビヨンセのことを心理学者のジグムント・バウマンは著書『リキッド・モダニティ』でこう示している。

一気にスタイルを変えることができる能力は、いまの流行や個人的な好みを表現することでもある。このことから考えられることは、彼女にとっての挑戦とは、変化する環境の中で自分に忠実であるということではなく、状況や環境の変化に常に適応していくということなのだ

ファッションは大衆文化と融合し、その論争のリズムを歩み始めている。それはビヨンセこそがアイドルであるという社会の一部になるように、ということがストリートにまで至ってきている。

 例えばもし誰かが、ドクターマーチンかスーツを仕事に着ていったならば、それはその人自身が特定のグループに属していることを表す。もし時代が違えば、同じ人が違うユニフォーム(例えばフレッドペリーのポロシャツ、または違うスポーツウェアなど)を着ることは、その人が違うグループと関係を持ち始めていることを表す。サブカルチャーの変化を解読しようとすることは、目の前にあるとても複雑な課題だ。『サブカルチャーサイド』は、サブカルチャーとは一体何なのかといった問いの、最終的な答えを見つけることを目指してはいない。ただ、新しいテクノロジーが生まれているこの時代の主人公たち、2010年代におけるスペインのユースカルチャーを、ヴィジュアルとしての物語性やファッションといったテーマを反映しつつ描いていくことを目指している。社会が硬直したまま過ぎ去ったこの10年間は、これから周辺の若者たちによってカッコいいものが語られて広まるというまったく新しい時代に取って代わっていくだろう。そして今までにない革新的な形で、若い彼らが現代におけるサブカルチャーの真の主人公となっていくのだ。

Photography by Laura Carrascosa Vela

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